generationyのブログ

コンサルで見習いをしています

新卒3年間の振り返りと次の3年間に向けて

 

この3年間を振り返ると「よくも悪くもコンサルになったなあ」と思います。

 

個人の話に入る前に少しコンサルの仕事の話をします。

コンサルの仕事は、説明しづらいのですが、「顧客課題を解決する請負ビジネス」というと個人的にはしっくりきます。顧客課題がまずあって、それを要素分解し、要素ごとに解決策を提案していく、時に一緒に現場に入って解決策の実行まで支援する仕事です。“請負”という言い方をしたのは、程度の差こそあれ、発注者である顧客の意向を大いに受けるというニュアンスを込めたかったからです。コンサルは第三者としての価値提供を期待される一方、オーナーの意向に沿うことも求められます。この一見、アンビバレントにも見える役割を担わされるのがコンサルの仕事です。

 

そうした中、コンサルの仕事の成否は、顧客の期待値にかかっています。単純化して言えば、顧客の期待を上回っていれば、“成功”、下回っていれば“失敗”です。顧客の期待は概して主観に基づくもので、もともと明示的に線引きがあることは少ないです。そのため提案段階からどこで線引きさせるかをコントロールすることが、コンサルの腕の見せ所と言えます。これを期待値コントロールと言いますが、期待値コントロールが下手だとプロジェクトが炎上します。その意味でコンサルとして一番気を遣っているのは、顧客(正確に言うとその中でもプロジェクトの予算を出しているオーナー)の期待値を正確に読み取り、それを満たすアウトプットを出し続ける、この一点です。

 

コンサルの仕事の話に入ってしまいましたが、冒頭に書いた「よくも悪くもコンサルになったなあ」という話は自分の思考回路・行動原理が、ここで書いたコンサルビジネスの影響を強く受けているためです。対社内でも対顧客でも無意識のうちに相手の期待値を読み取る点に力が入っています。相手の期待値が自分の出せるアウトプットより高いと見れば、期待値を下げる方向にまず持っていきます。期待値を下げておけば、アウトプットの質がそれを上回る確率が上がるため、「ありがとう、いいね!」と満足されることも増えます。期待値を下げられない場合は、書籍であったり社内の専門家であったり他人の知恵を全力で借りにいきます。特に若手は、対社内で期待値を上回り続けていれば、“筋のいい”仕事がまわってくるので、ここは職業人としても生命線と言えます。(あえて“筋のいい”という言い方をしましたが、コンサルの仕事の中には解けない課題を解けない方法で解かねばならない“筋の悪い”仕事も多々あります。こうした仕事は概して顧客の期待を満たせず、心身ともに疲弊する“炎上プロジェクト”に発展しやすいため、健康で文化的な生活を送るには避けたいところです。)

 

実際に大学を卒業し、この3年間でスキル/マインド両面で何が一番変わったかといえば、自分を取り巻く利害関係者が、自分に何を期待しているのかを見極める“観察眼”が第一、期待値をコントロールする“コミュニケーション力”が第二、期待値を満たすアウトプットを作り込むための力(“人に頼りまくる力”を含む)が第三です。第三の部分は仮説思考、分析力、ロジカルシンキングetc. コンサルとして一般的に想像される力に最も近いのですが、第一、第二があっての第三だと捉えています。

 

学生の時、いまの会社の最終面接で「コンサルタントとして大成するのに最も重要な資質は何ですか?」と一つだけ質問した際、「組織内での立ち居振る舞いの巧拙だよ」と言われて、当時は何を言っているか全く分からず、もっといえば「組織が嫌いだから個人で働きやすいコンサルを志望しているのに、組織内での立ち居振る舞いとは何だ」とがっかりしました。ただ今であれば、この言葉の重みが身にしみて分かります。それが分かるようになったという点でも「コンサルになったなあ」と思います。最近、ある中途入社の先輩に「お客さんの組織が縦割りで、部門間の意思疎通が図れなくて、イライラするんだよね」と話しかけられ、「組織内の横のコミュニケーションが機能不全だからこそ、コンサルとして、付加価値を出しやすいじゃないですか」と答えたのですが、最終面接で言われたことを自分自身がいつに間にか価値規範として内在させており、気持ち悪いです。「コンサルになったなあ」と。

 

ここの感覚は多分に個人差があるのですが、僕がこの価値規範を明確に内在化させたのは、2年目に外部機関に1年間常駐した経験が大きいです。1年目は学生の時に描いていたようなやりたい仕事(インダストリー4.0のような当時最先端の仕事や学生の頃からの憧れでもあった海外での国際会議への参加など)をやらせてもらいました。対照的に外部機関への常駐が決まった2年目は、(当時)やりたくない仕事を外部に出てまで1年間やることへの反感、反発、被害者意識が非常に強く、仕事に嫌気が差していました。ただそこで実際に現場に行って、物事を一緒に動かす経験が、コンサルとして最も大切なことを教えてくれました。2年目に送り出される際に上司から「お前らは賢いかもしれない、だけどつべこべ言うな、とにかくこの一年で物事を動かす難しさを学んでこい」と言われましたが、その通りでした。また結果論ではありますが、ここでの一年通した仕事は楽しかったので、やはり喰わず嫌いはいけないな、というのと、ここでの頑張りが3年目で多くの恵まれた機会を与えられる布石になったので、腐らなくてよかったな、という収穫もありました。1年目は仕事をただ与えられる立場でしたが、2年目は仕事は与えられるのではなく、創らなければいけない、与えられるのは機会であり、機会を生かすも殺すも自分次第だと恥ずかしながら学びました。

 

このように振り返ると次の3年間もコンサルを続けるとすれば、コンサルとしての思考回路・行動原理はますます深く内在化されると思います。“気持ち悪さ”はなくなり、それが快感ですらある世界が待っているのかもしれません。「コンサルは長く続けるとやめられない」とよく言われますが、ある種、中毒性のある仕事なのかもしれません。

 

コンサルは奥が深い仕事なので、この3年間で学んだ話はおそらく奥深い世界の入り口にようやく立てたくらいのレベルだと思います。そのため次の3年間は苦労しつつ、この感覚に磨きをかけることに時間を割く必要があります。ただ一方で、冒頭にあえて書いたように“請負ビジネス”としてのコンサルが、将来長きにわたり高い付加価値を提供し、高い報酬を得られ続けるのかというと疑問もあります。コンサルの“第三者”としての価値は将来も残ると思いますが、コンサル業界に人材が供給され続ける中で、余りあるだけの取り分があるのか、というと疑問です。

 

3年目の仕事の話を少しだけすると、3年目は海外の全く異なる領域におけるプロフェッショナルチームと協働して、プロジェクトを動かす機会に恵まれました。そこから派生して、コンサルの将来像について考え、それを実現するための外部パートナーを探索する活動(外部パートナーと一緒に仕事をしたり、資本業務提携など踏み込んだ議論をしたりする)にも関わりました。こうした仕事を通じて、コンサルという業界自体がそろそろ新しい領域に踏み出す、踏み出さなければいけないのではないか、そこで求められる人材は従来の“請負ビジネス”のコンサルとは大きく違うのではないか、と大真面目に考えています。

 

ここでいう新しい領域とは、ざっくり言うと戦略コンサルが元マッキンゼー大前研一氏などパイオニアが卓越した個の力で切り拓いた“コンサル1.0”、業務コンサルが今のアクセンチュアなどが組織戦で形にした“コンサル2.0”、その次の世界が“コンサル3.0”で、ここでは今までとは全く異なるものが求められるかもしれない、という話です。コンサル1.0〜2.0の世界は一言で言えば「顧客課題に対し、第三者視点で」価値提供する仕事でしたが、コンサル3.0の世界では顧客課題が起点ではなく、社会課題や消費者(エンドユーザー)の課題が起点になるかもしれません。また第三者視点ではなく“同じ舟に乗る”一人称の視点(利害を共にした状態)が逆に求められるかもしれません。課題解決の方法も従来の論理に傾倒したアプローチだけではなく、情や感性を大切にしたアプローチも取り入れることで、価値提供の幅を広げることが求められるかもしれません。それを果たしてコンサルと呼ぶのか、コンサル1.0、2.0の世界の人からは、「あれはコンサルではない」と言われるかもしれません。実際、コンサル1.0の世界の人には「戦略コンサルこそがコンサルである」という誇りを持っている人も少なからずいます。(戦略コンサルの仕事も業務コンサルの仕事も経験した身として、もはや戦略と業務を区分することの意味は薄れつつあると思います)。コンサル3.0の世界もきっと挑戦的であればあるほど「あれはコンサルではない」と言われるでしょう。

 

ちなみにコンサル3.0の話をした際に、“社会課題”というありきたりな言葉を使ったのは、学生の時に書いた自己分析のメモにこのキーワードがあったためです。大学では社会科学を広く学んだこともあり、社会課題を洞察し、その解決策を提供することが仕事の役割だと位置づけたのは、いま思えば自然だったと思います。一方、繰り返し書いているように、いまは“顧客課題”を起点に仕事をしています。「顧客課題を解決することで、社会課題を解決する」と言えばそれっぽく聞こえますが、僕の理解ではこの二つは似て非なるものです。顧客課題を解決する、ましてコンサルとして顧客の期待値を満たしたからと言って、社会課題の解決につながるかは分かりません。コンサルの人が業務外でNPOなどに関わるプロボノ活動も、こうした顧客課題と社会課題とのギャップから来るものかな、と思っています「学生の頃の視点に立ち返って、やっぱり社会課題を解決したい」と言ってコンサルを飛び出していくのも手であり、実際にそうした人も間近で見ています。ただ僕にはそれだけの“熱意”も“胆力”もありません。僕がやれることといえば、そうした人に、ささやかなエールを送るくらいです。

 

4年目以降、次の3年間に向けて何をするのかという視点でいうと、僕は僕のやり方で「コンサルになったなあ」という感覚を深めつつ、ささやかな抵抗、アンチテーゼとして、今のコンサルにはない、けどいずれコンサルに必要になるものを追い求めていくのだと思います。組織人である以上、自分で全てを選択する余地はないのですが、結果を出し、声を上げ続けていれば、新たな機会に恵まれる点は2年目の経験の学びであり、いまの会社に残る上での心の支えです。

 

ちょうどいま、スタンフォード大学オライリー教授の『両利きの経営』という本を読んでいます。この本は「成功した企業でも、なぜ長きにわたり生き残れないのか、生き残るにはどうすればいいのか?」という問いに対し、「企業が長きにわたり生き残るには、既存事業の“深化”と新規事業の“探索”の両方が必要で、これを実現する“両効きの経営”には強いリーダーシップが求められる。」と結論を出しています。最近、企業変革の研究活動をしており(いずれ対外的に公表します)、その文脈で読んでいたのですが、僕自身が次の3年間を考える際にも“両効き”はキーワードだなと思いました。既存のコンサルとしての“深化”といまのコンサルの形にとらわれない(もはやコンサルではない)コンサル像の“探索”。このバランスの取れた活動の先に次の3年間はあると思います。

 

「コンサルになったなあ、コンサルっぽくないけど」くらいの感覚を期待して。